地元ひたちなかの魅力を伝えたい!うさんぽのプロフィール
うさんぽです。
普通の主婦をしている私ですが、茨城県ひたちなか市を元気にしたい!という目的に向かって活動している私の自分の人生のこれまでをこの記事に詰め込んでみました。
ひたちなかの良さを知らずに暗くなるまで遊んだ小学校時代
お父さんはバスは運転手。お母さんはパートという“普通” の家庭で三姉妹の長女として那珂湊に生まれた私。
海の近くということもあり、子供のころからお肉よりもお魚が好き。冬は、ほし芋が当たり前のように家にあり「かんそいも」と呼び、丸干しは「まるぼう」呼んで食べていました。
夏休みには毎日海へ歩いて朝から夕方まで真っ黒になるまで遊んでいました。
那珂湊は今ではあり得ないと思いますが、トラックの荷台に魚と氷が山盛り積んであって、その魚が走っているうちに落ちるんです。
家の近くに魚の工場があるんで、そんな光景ばかりを見ていた私と妹は、「ラッキー!お母さん喜ぶかな~?」とその魚を拾って家に持ち帰り、「拾った物は汚いし…盗むのもよくない!」と逆に怒られたり。
あとは海に近い私の家は、潮風で壁に塩らしきものができるので、それを削って「塩とれた!!」とお母さんに渡したりしたんですが、これも怒られたり…。
こんな感じの海の近くの田舎特有のほのぼのなエピソードがたくさんあります。
那珂湊には八朔祭り(はっさくまつり)という祭りがあり、山車をロープでひっぱりながら、街中を朝から晩まで引いて歩くことがあるんです。
子供の頃はお祭りが大好きだった私は山車を引っ張って一日中歩き回りました。
休憩所には青いバケツの中にピンク色の水があり、それを飲むのですが、とても甘くて美味かったのです。(あれが何だったのかは未だに謎です)
夜はライトアップされた山車がとても綺麗で町内ごとの掛け合いも楽しかったですね〜。
お笑いにハマり、ひたちなかが嫌いだった高校生時代
高校生になると安室ちゃんやジャニーズ全盛期でしたが、お笑いにハマりました。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、お笑いの「吉本印天然素材」略して「天素」の追っかけをやり始めてよく東京へ行って、劇場に足を運んでいました。
バイトも追っかけの為の資金に使っていて学校も早退して、東京の劇場に見に行っていました。さすがに体育祭を休んで見に行った時は、次の日に熱血先生に泣かれたりしました。
そのせいか、「地元はダサい!もう絶対に出てってやる!!」と東京に強い憧れを持つようになりました。
「せまい地元ではなく、東京へ住んでもっと視野を広げようよ!」などと友達とよく話していましたが、今思えば東京に住んでいたらもっとお笑いを見に行けるのにと単純な理由だったんですけどね。
またそこで出会う色々な地方からくる友達も出来ました。この時期の事は今でも友達と会うと笑いながら話をしています。
ただ、このことが要因で、改めて自分の中のひたちなかを意識し始めたキッカケになったと思います。
就職をしてからひたちなかがちょうど良い場所だと意識するようになる
そんな私はなせがひたちなかで就職しました。たまたま紹介された仕事場で採用が決まったからです。
よく東京へ行っていたこともあり、家族も「東京へ就職するだろう」と思っていたようですが、ひたちなかで就職して驚いていました。
私も今ほど、ひたちなかに愛着心もなかったのになぜ行かなかったのか…。心の奥には潜んでいたのか?今でも分かりません。
ひたちなかに就職をして、お給料もいただき、車も持つようになり、行動範囲が広くなりました。
仕事が終わってから友達とご飯食べに行ったり、カラオケに行ったりと若さもあり、夜遅くまで遊ぶことがとても楽しかったです。
年に2回は旅行にも行きました。
「まだまだ日本の知らない場所に行ってみたい!」と海外ではなく国内旅行ばかりだったので、友達とファミレスで遅くまで計画をたてたりすることも楽しかったです。
お金も時間もそこそこあったので、何でも出来ると思っていたそんな時期だったおかげで、スノーボードやボディボードにも挑戦しました。
このように旅行を何回か重ねる内に
「ひたちなかってそんなに不便を感じないし、東京にも遊びに行ける、ちょうど良い場所じゃないか」と思うようになっていきました。
追っかけファンからひたちなかの良さに気付く
追っかけは止めていましたが、追っかけファンの友達がたくさんできました。
県外からのファンもいるので、わざわざ県外からこの那珂湊に来る時もあります。
友達と色々な話をしていると、「海が近いなんて羨ましい」と言われました。
海は私は歩いて行くところなので、当たり前に感じていましたが、友達は車でわざわざ行くところらしいのです。
実はこのことが大変な衝撃でびっくりしました。
「当たり前と思っていた場所が、当たり前に行けるところじゃないんだ!」
これがキッカケでハッとしたことは東京の親戚も夏になると必ず1週間泊りに来て、海へ行っていました。
これも海という価値があるひたちなかだったからなんですね。
私が「ひたちなかには何もない」と思っていたのは、当たり前にあったから。
この事を知ったことは、私の中でとても重要でした。
地元ひたちなかがなくなる恐怖を感じた東日本大震災
そんな風に幸せを感じながら過ごした私。
結婚もして、お腹の中に赤ちゃんがいました。
しかし、2011年。
東日本大震災、そして福島の原発事故が起こってしまいます。
原発に詳しい主人の両親から
「何かあってからじゃ遅いから、避難して来なさい」と主人の地元の福岡に私だけ避難しました。
水道も電気をなく、食べるものもなく避難している家族を置いて自分だけ避難することがいたたまれなくなったこと。
東京まで出てくると、何事もなかったようにお店が開いていて、何でも買える事に驚愕したこと。
一番は「もしかしたら、地元ひたちなかがなくなるかも知れない」と恐怖を感じたこと。
震災がキッカケでひたちなかや、家族に対して色々な想いが芽生えました。
世代を超えて子供にも喜んでもらえていると感じられた地元ひたちなか
少し不安はありましたが、私は地元ひたちなかへ帰ってきました。そして無事、出産。
風評被害はあるものの、ひたちなかも日常を取り戻していました。
その頃から赤ちゃんと外出をするようになり、私が小さいころに両親に連れて行ったもらったお店などに行き、改めて
「ひたちなかは良い街だな~」と思うようになりました。
歩いていった海。子供も大好きな海です。
子供も「海は歩いて行くところ!」と同じように思っていること、それが何か不思議な感覚になります。
私と同じ子供時代を過ごしていることは、とても凄い事なんだと思います。
世代を超えてつながる魅力がひたちなかにはある。
そう感じるようになっていきました。
子供を通じて自分がひたちなかをどんどん好きになっていく
子供と一緒に行くお店は私が小さい頃行ったお店。
商店街を歩いてみると、まだやっているお店です。
子供に「ここはママが子供の頃に行って…」とエピソードを話したり、
「あっ!ここにあったお店がない。違うお店になっている!」と自分自身も地元再発見という感じで知ることが出来ました。
車ではなく、子供の散歩がてら歩いて行くことも良かったのかも知れません。
今はスーパーで買い物が全部済んでしまいますが、子供の頃はお母さんと商店街へ行って八百屋さん、お肉屋さん、魚屋さんと別々のお店にいった事も思い出しました。
魚屋さんでは、レジの代わりに天井からひもでカゴはぶらさがっていてその中からお釣りをとっているそんな光景は今では信じられないですよね
子供から地元ひたちなかの良さを教えてもらっているような…、そんな不思議な感覚。
「海だけじゃなくて、本当は魅力的なものいろいろあったんだなぁ」と感じるようになれたのです。
自分が知ったひたちなかの良さをみんなにも知ってもらいたい
子供からたくさんの事を思い出させてもらいました。
「色々あるじゃん!ひたちなか!!」
でも、私自身もまだまだ全然知りませんし、県外の方はわざわざひたちなかに来ようと思っている方はいないかもしれません。
私が好きになったひたちなかでは商店街も閑散とするようになり、大手のスーパーに流れるようになりました。
東日本大震災の風評被害もあり、未だに「せっかく作ったものを食べてくれない」という農家の方もいます。
地元の方であっても「ひたちなかって何もないよね」って思ってしまっている方も多いかもしれません。
お祭りがあっても前のように歩けない人ほどの人が集まってくることはなく、活気が足りません…。
ひたちなかには魅力がこんなに詰まっているのに!
もしかしたらひたちなかが「震災ではなく人の気持ちによって無くなっていってしまうのでは?」と感じるようになりました。
だから、「地元ひたちなかの良さをもっと知ってもらおう!」。そう思ってひたちなかを紹介するブログを作りました。
まだまだ私の知らないひたちなかの魅力があるハズ!
そう思って自分で見たり、たくさん調べたりしています。
他では感じることのできないひたちなかの魅力を伝えることができたら…。
そう想っています。
私のこと、そしてひたちなかの応援、宜しくお願いします!
「教えてくれてありがとう」
「良いこと聞いて良かったよ」
そんな言葉が私の今の励みです。
私は皆さんからのこんな声が聞けることが一番嬉しいです。
もし良かったら、
- ブログ見て行ってみました。
- 他にもこんな所もありました。
など、皆さんの色々なひたちなかを教えてもらいたいです。
私一人では気づかないこともあるので、なかなか進まないブログですが、皆さんからの応援が力になります。
皆さんの心の中に、ひたちなかのカケラを残せたらすごく嬉しいです。
どうぞ、応援よろしくお願いします。